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以前(ずいぶん前ですが)書いた詩です。


   顔
   

忘れ物を取りに行くようにして
くたびれた小さな漁船は沖へ出ていき
(そのエンジンはひもを引っ張るのだ)
数分もしないうちにまた戻ってきた

待ち受けていた漁師たちが
四角い網を持ち上げて さかさにすると
夥しい数の小魚が
叩きつける黒い雨のように
あるいは土砂のように降ってきた
(土砂降りはしばらく続いた)

戻り際
突堤のコンクリートに
靴底に潰されたまま干からびている
一匹の小魚の骸を見た

来る途中
暇にまかせて車内で読んだ雑誌の中で
学者たちが議論していた
〈この事件で虐殺された者は四十万
いや 二十万というところか
私の見積もりでは それもいくらか多すぎると思う
国側の申し立ては参考程度として…〉

ひとしきり降り続いた魚たちの顔を
私は一匹も見分けることができなかった

しかし あの一匹の顔は
はっきり見えた


「個」が見えているかどうか。
(「個」の中には、もちろん自分自身も含まれます。)

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コメント

はじめまして。

何を隠そう、「おばけには試験も何にもないが、人間界にはあるんだ!」の記事で、涙を流して大笑いした頃からの、このブログのファンです(笑)
久々にブログチェックさせていただきました。

ところで、本日(2月19日付)の中日新聞社会面の記事、「クリスチャンは子供は叩かないと矯正できないという考えがある」をどう思われますか?

投稿: 散歩路 | 2014年2月19日 (水) 07時47分

散歩路さま

こんにちは。
中日新聞に、そんなことが書いてあるのですか?全文を読んでみないとどういう主旨でそういうことが書かれたのかわかりませんが、こういう考え方は聞いたことが無いので驚きました。
エホバの証人(キリスト教と認められていない宗教)は、一昔前は子どもの鞭打ちしていたというのは有名な話です。

投稿: りんご | 2014年5月 1日 (木) 08時37分

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