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神を知る道

 10日の礼拝説教は、ヨハネによる福音書7章25~31節から。

 エルサレムの住民の中には、もしかすると今自分たちが見聞きしているイエスという人こそ、待ち望まれていた救い主ではないかと問う人々もありました。
 しかし、彼らはイエスを信じることができませんでした。救い主ならもっと神秘的な、それらしいしかたで到来するはずであって(実際、日本のいわゆる新興宗教の教祖たちの中にも、経歴の多くの部分が神秘のヴェールに覆われているということが多いようです)、それにしてはイエスはあからさま過ぎる、身近すぎる、われわれはこの人がどこの出身で、両親や兄弟についても知っている-そう考えたからです。

 人間がもともと持っている神についてのイメージ、先入観というものが神を知る妨げになることがあります。エルサレムの人々の場合、主イエスについての評判には耳をかたむけていましたし、主イエスについて自分の頭であれこれ分析してもいました。しかし、主イエスと正面から向き合い、み言葉を聞き、みわざを見ることをしませんでした。「自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であることがわかった」(4:42)からこそわたしたちは信じたのだ、と語ったサマリアの人々とは対照的であったのです。

 神は聖書をとおして、イエス・キリストをとおして、人間がご自身をはっきりと知ることができるようにしてくださっています。神がもうけてくださったその道をとおるなら、わたしたちも神を知ることができるのです。神と出会い、神を信じることができるのです。

「わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである」(新約聖書ヨハネによる福音書7:29)

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