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2010年1月

FEBCの方々が来てくださいました

 今日はキリスト教放送局FEBCのスタッフの方々が、名古屋教会の礼拝を取材してくださいました。「全地よ、主をほめたたえよ」という番組で、ラジオ放送は5月30日の午後9時30分からですが、インターネットでは今週の金曜日から聴けます。聴いてくださるとうれしいです。礼拝に来てくださるとさらにうれしいです(名古屋教会のホームページでも案内しています)。

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神を知る道

 10日の礼拝説教は、ヨハネによる福音書7章25~31節から。

 エルサレムの住民の中には、もしかすると今自分たちが見聞きしているイエスという人こそ、待ち望まれていた救い主ではないかと問う人々もありました。
 しかし、彼らはイエスを信じることができませんでした。救い主ならもっと神秘的な、それらしいしかたで到来するはずであって(実際、日本のいわゆる新興宗教の教祖たちの中にも、経歴の多くの部分が神秘のヴェールに覆われているということが多いようです)、それにしてはイエスはあからさま過ぎる、身近すぎる、われわれはこの人がどこの出身で、両親や兄弟についても知っている-そう考えたからです。

 人間がもともと持っている神についてのイメージ、先入観というものが神を知る妨げになることがあります。エルサレムの人々の場合、主イエスについての評判には耳をかたむけていましたし、主イエスについて自分の頭であれこれ分析してもいました。しかし、主イエスと正面から向き合い、み言葉を聞き、みわざを見ることをしませんでした。「自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であることがわかった」(4:42)からこそわたしたちは信じたのだ、と語ったサマリアの人々とは対照的であったのです。

 神は聖書をとおして、イエス・キリストをとおして、人間がご自身をはっきりと知ることができるようにしてくださっています。神がもうけてくださったその道をとおるなら、わたしたちも神を知ることができるのです。神と出会い、神を信じることができるのです。

「わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである」(新約聖書ヨハネによる福音書7:29)

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言葉をめぐる対話

 今週の月曜日、大学時代からの友人が我が家に遊びに来てくれました。愛知県の、三河地方の中学校で国語の先生をしています。国語の授業の実践が認められて、さる広告会社の催す教育関連の大きな賞も受けています。彼はキリスト者ではないのですが、この賞の選考のおりに三浦綾子さんの『塩狩峠』を題材にした授業が高く評価されたと聞き、うれしくなりました。

 彼とは二十年来のお付き合いですが、今にいたるまで言葉をめぐる対話を続けています。言葉について語り合って、時間を忘れる人です。このような友人をもっていることを幸いに思います。

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ポケットラジオ

 新年となり、もう九日目です。時の経過はすみやかです。ずいぶん更新を滞らせておりましたが、今年も細々とでも書いていきたいと思います。

 最近、日課(といきたいもの・・・)の30分ほどの散歩に、ポケットラジオを携行します。ワイシャツのポケットに入るほどのサイズです。イヤホーンで音楽やニュースを聴きながら歩きます。適度に気晴らしになって、重宝しています。
 ただ、感度がなかなかよい分、デリケートなところがあって、周囲の音に敏感です。広い通りに出た時、駅の雑踏の中にいる時には急に聞こえなくなり、(乗り物に乗っている時は)隣りの席の人が携帯をいじっていると雑音が入ります。
 ポケットラジオを持つようになって、それまで自分がかなり大きな音(車内アナウンスや電車の轟音、自動車やダンプカーの音など)に相当平気であったことに気づかされました。

 日帰りで遠出をする時などは、歩数計(「ポケモン」の―娘から拝借した)をたずさえていくこともあります。右のポケットにラジオ、左のポケットに歩数計。私の身辺はにわかに電化されつつあります。

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