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 霊によって

 今日の礼拝説教は、ヨハネによる福音書6章60~65節から。

 人はどのようにしてイエス・キリストというお方を知り、信じることができるのでしょうか。
 主イエスは「肉は何の役にも立たない」(63節)と仰せになります。「肉」とはここでは人間性をさし、とくに人間的なしかた、人間の流儀でご自身について知ろうとすることをさしています。つまり生まれながらの人間が自分のしかたで主イエスを知ろうとしても、それは何の役にも立たないということです。神の言葉をもっぱら人間理性によって知ろうとするかぎり、神の言葉は人間にとって謎であり続けるのです。

 主イエスは「命を与えるのは霊である」と仰せになります。イエス・キリストというお方を知るためには、聖霊の導きを仰がねばならないのです。キリストのみ霊に導かれつつ、キリストのみ言葉を聞く。それによって人は命を得るのです。
 これがキリストを知る道筋です。この道筋を神はすでにわたしたちのために開いてくださっており、備えてくださっています。この道筋に従って主イエスを求めるなら、だれもが分けへだてなく主イエスを知り、信じることができるのです。主イエスを愛し、主イエスから来る喜びにあずかり、主イエスにある慰めと平安を受け取ることができるのです。そのようにして、霊によってわたしたちは文字通り主イエスとひとつなる命を生きるのです。

「命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」(新約聖書ヨハネによる福音書6:63)
 

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